「わたしたちの体は寄生虫を欲している」 ロブ・ダン

生き物に関する本も楽しい。

今日読み終えたのはこれ。

わたしたちの体は寄生虫を欲している (ポピュラーサイエンス)

わたしたちの体は寄生虫を欲している (ポピュラーサイエンス)

 

 

目黒の寄生虫博物館には行ったことがあるだろうか。

博物館としては狭いところだが、写真とか標本とかのインパクトはすごい。

公益財団法人目黒寄生虫館公式サイト

サイトでは少ないながらもグッズも売ってる。

寄生虫封入ストラップとか、悪趣味な気もするが。

 

免疫システムが自分を攻撃してしまう病気について、寄生虫で治す治療があるという話題が出てくる。(未完成だが)

こういう病気は都会に多くて、未開の地には少ないことから、都会の環境の何かが原因なんだろうと考えた人が、寄生虫にたどり着いた話とかが書かれている。

清潔すぎる環境が、免疫の攻撃性を自分自身に向けてしまうというようなことだ。

 

確かに、都会の人の方がアレルギーが多いと聞く。

 

アトピーの友人が海外旅行した時は、空気の汚い国では悪化して、空気の綺麗な国では症状が治まったという。

そして空気が汚いところというのは、現在発展中で、まだ環境汚染対策が遅れている国の都市である。

東京の比ではない。

 

ちなみに、このアトピーの友人は後にプラセンタの注射で症状が軽減した。

どういう仕組みかは知らない。

ヒト由来のプラセンタ注射をしたことがある人は献血できないとか色々あるが、合う人には合うのかもしれない。

 

本書に出てくる病気は免疫システムが自分の消化器官を攻撃するというクローン病である。

27人が実験に参加し、24週で26名が良くなり、一人が寛解したという。

寄生虫を飲み込むというのはあまり楽しいものではなさそうだが、病気で日常生活にも支障をきたしている人も多く、チャレンジしてみる価値があると考えたのだろう。

 

そういえば治療に虫、というのはマゴットセラピー、つまりうじ虫で壊疽を治療するというやつがあって、それもそれで、できればお世話になりたくないが、そういう治療もある。

 

 

本書では虫垂、つまり盲腸の存在意義についても考察されている。

退化したものが残っているだけ、という説が広まっていたが、実は違うのではないかということが書かれている。

虫垂があるから、必要で多様な腸内の菌が保たれているのではないかと。

コレラのような病原菌のせいで腸内の良性の細菌が一掃されても、やがて虫垂に隠れていた菌が繁殖し、また元の環境が取り戻せるようにしているのだろうと。

おもしろい。

 

「わたしたちはつい最近まで獲物だった」

恐怖に関する身体のシステムについても説明されている。

人間と大型の捕食動物の歴史の大半において、わたしたちは間違いなく獲物であり、そのことが数百万年前に進化した脳内の恐怖モジュールを持続させ、人類が進化するにつれてより精巧なものになっていった。(中略)三億年にわたってわたしたちは「やめて!食べないで!」と叫ぶ動物だったのだ。(p163)

そしてこの恐怖モジュールというものも、捕食されなくなっても維持され続けている。

身体への直接的な脅威は減ったものの、間接的で漠然とした恐怖が増えた現代社会において、その恐怖モジュールが短絡的な反応を招くということがある。わたしたちは連日のように殺人のニュースを耳にし、あるいは国家予算とその結果について気をもむ。このような散漫な恐怖も、かつてトラが引き起こしたのと同じ反応を引き起こすが、その反応は慢性的に、毎日、少しずつ起きる。しかもこの恐怖は、解決ではなく、不安とストレスを生み出す。(p183)

 

やっかいなものだ。

 

本書のタイトルは寄生虫を前面に出しているが、寄生虫の専門書ではなく、おおらかな自然と切り離された人類について、さまざまな事例が書かれている。

味覚や体毛といった話題も出てくる。

マラリアで死なない代わりにソラマメが食べられない人たちがいる。

どういう仕組みなのかというのは本を読んで頂きたい。

どういう遺伝子が、どう選択されてきたのか。

 

なぜ体毛がなくなったのか、という疑問にもひとつの仮説が立てられている。

裸の哺乳類は少ない。

ヒトの他に有名なのは「新世界より」で有名なハダカデバネズミだ。

新世界より 上

新世界より 上

 

 体毛がなくなったことで、皮脂腺が変化し、裸体に意味ができ、皮膚の色が多様化し、他の病気に罹るようにもなった。

その一方で、わたしたちは頭に生えた少々の毛を維持するために数百万ドルを費やし、脚の毛をとりのぞくためにさらに数百万ドルを費やしている。

 

今後はどういう特徴をもったヒトが遺伝的に残っていくのか。

残念ながらその結果を見るまでは生きていられない。

 

日本人として一番興味をそそられたのが「外国人恐怖症が病気を防ぐ」の章。

小さな集団で暮らしていたときは、新しい病気の多くは「よそ者」がもってくるものだった。

つまり、よそ者を避けていれば病気は防げるというわけだ。

こうして外国人恐怖症=クセノフォビアが文化に定着したのかもしれないと。

 

そしてそれは文化によって、個人主義集団主義の違い(自分のためだけに行動するか、集団の利益を優先するか)として現れているのではないかという。

アマゾンの多くの集団では、ある人にとって家族や部族は、その人自身と同じくらい重要である。そのような文化は集団主義と呼ばれることが多く、自他の境界は、個人の間にではなく集団と集団の間に引かれる。そうした社会では、一人ひとりの創造性や個性などは軽視され、むしろ、良くないものと見なされる。

ここ、アマゾンじゃなくて、昔の日本だったりしませんかね。

個人主義と、それがもたらす欧米のヒーローやわがままな生物学者、ひいては民主主義などは、社会が病気の重圧から解放されて初めて、存在しうるものなのかもしれない。 

 日本にはそんなに伝染病が蔓延していたのか。

 

豚インフルエンザが潜在的な脅威として出現した時に、人々が取った行動。

メキシコでは、挨拶のキスをしなくなった。握手も拒んだ。飛行機は欠航し、特に感染地域からの便は取りやめになった。つまり人々は、他人との接触を断ったのだ。もちろん、子どもを抱きしめたり、夫や妻にキスしたりするのをやめたわけではない。ただ他人を避け、自分が所属する集団と最も親しい人々の安全を最優先するようになったのだ。

 

挨拶のキスも握手も文化としてあまり定着していない日本は、やっぱり病気の脅威にさらされていたに違いないw

挨拶のキスはお互いの匂いを嗅いで相手を判断するという説がある。

とまあいろいろな説があるのですが、土井的に一番しっくりくる説は、キスの起源は「におい嗅ぐ挨拶」という説です。

以前のブログ記事(においでセックスの相性がわかる!?遺伝子が求める理想の相手)にも書きましたが、私たちは嗅覚で、自分と相手の遺伝的相性の良し悪しを本能的に「嗅ぎ分け」ます。遺伝的に相性が良い(つまり、免疫情報の差異が大きい)場合は、相手のにおいを好ましく感じますし、そうでない場合は「くさい」と感じます。また、相手の気分や、健康状態もにおいで直感的に判断することも出来る能力が、私たちには備わっているようです。
(参照:恋人たちのバレンタインデー、キスの起源は「におい嗅ぐ挨拶」

なぜ人はキスをするのか?キスの起源から、キスの科学まで | オトコとオンナの豆知識 | オトコとオンナがもっと楽しくなるBlog by MICOTO CREATIONS

 

免疫情報の差異が大きい方が良い理由は、リンク先にこう記載されている。

では、生物として自分の遺伝子を効率よく残すには、どんな相手を選べばよいのでしょうか?

それは、自分と遺伝情報が遠い関係の相手です。
遺伝情報が遠い存在のほうが、自分の遺伝子が持っていない免疫などを持っている可能性が高く、
自分の子孫が生き残る可能性が高くなるからです。
(参照:遺伝的多様性 wikipedia

そして素晴らしいことに、私たち人間には(人間以外の生物にはもっと顕著だと思うけど)、
自分と相性の良い遺伝子を持つ異性を、嗅覚で判別する能力が生まれながらに備わっているのです!!

においでセックスの相性がわかる!?遺伝子が求める理想の相手 | オトコとオンナの豆知識 | オトコとオンナがもっと楽しくなるBlog by MICOTO CREATIONS

 

病気の脅威への対応として、遺伝情報が遠い相手を嗅ぎ分ける挨拶を発達させた国と、よそ者を排除する文化を育てた国とでは、国民性が異なるのも仕方がないと思う。

 

 

また、無意識で病気を察知しているかという実験も興味深かった。

病気の人の写真を見ると、なんでもない写真や、暴力的な写真を見せられた人とは違う反応が出るという。

「なんか生理的にダメ」というのはこういうところから来ているのかもしれない。

 

結局、脳が病気かもと認識したもの(別に伝染病ではなくて、外国人や肥満とかの見た目が異質なものとかも含めて)に対して、身体的な反応があり、そこから正しい根拠のない嫌悪感が生まれてしまうことが、社会に大きな影響を与えているということだ。

それが民主主義の実現を阻んだり、戦争の原因にもなっているのではないだろうか、というところまでいく。

 

 

この本では最後に、身近に自然を取り戻す方法として、都会に立体的な農場「垂直農園」を造るという話が出てくる。

この計算も面白い。

 

ベランダでゴーヤを育てたり、プランターで生ゴミ堆肥作りしたりしてみるのもいいと思う。

 

家庭でつくる生ごみ堆肥―よくある失敗防ぐポイント

家庭でつくる生ごみ堆肥―よくある失敗防ぐポイント