クリック募金

クリック募金についてどう思い、どう考えるだろうか。

 

数クリックで気軽に募金ができて嬉しいし、世界にも貢献できる。

そう素直に思える人は幸いである。

 

その数クリックの為に、どれだけの時間が費やされるか。

1回につき数秒だと思うだろうか。

累計募金金額などを見れば、合計でどれだけの時間が使われているか想像できるかもしれない。

それは近くにいる誰かの人を愛するべき時間ではないのだろうか。

(世界平和のために
何をしたらいいのかと聞かれて)

 

帰って家族を
大切にしてあげて下さい。

マザー・テレサの名言 | 地球の名言

 

その労力に見合った対価と成果が支払われているのだろうか。

たとえば1秒で1円募金できるとする。

60秒=1分なら60円である。

60分=1時間なら360円である。

時給360円以上の仕事をして、そのお金をそっくり募金した方が、よっぽど効率的ではないか。

そして、誰がそのプロジェクトを監視し、費用対効果を算出しているのか。

そこまで考えたか。

 

どうしてこういう募金が成立しているか考えたか。

消費者に良いイメージを与える企業の広告であるということは明らかであると思う。

純粋に募金がしたければ、クリック募金の上限予算分と同じだけ、そのまま普通に寄付して、帳簿に書いとけばいいだけである。

企業を利用して自分達の思想(○○を改善したい)を広め、実行する資金を調達しようとする、ボランティア組織の戦略まで考えたか。

 

そして自分は何の為にそれを行うのか。

数クリックで「誰かに貢献している」という自己満足を得る為ではないだろうか。

累計が増えていくのが楽しいだけではないだろうか。

「何かに参加している」ことを面白がっているだけではないか。

あなたは何を思ってクリックするのか。

 

私が適当に考えただけでも、なんか一杯考えることがある。

結局は、何をどう、どこまで考えて、その行動を選択したか、ということが重要ではないか。

最後には、そういうプロセスは自由だけど結果的になんか地球が良くなる可能性が増える(かもしれない)という考えに至る人も多いのではないか。

 

ネットには「しない善よりする偽善」という言葉がある。

究極的に正しいかどうかわかんないけど、やってみる、というやつである。

 

もちろん、受ける側からすれば「独善的な行動でしかない」ということもある。

役に立つと思って一生懸命古着を送ったら嫌な顔をされて最後には「古着は送らないで下さい」とあらかじめ言われるようになる。

 

それをした本人だけでなく、ネットで叩かれているのを見た人も、それでそういうことをするのはやめようかな、と思うようになったりする。

だれでも傷つくのは怖い。

 

しかし、色々考えた末の行動であれば、やり方や考え方をちょっと修正して、また新たに他の道を考えることもできる。

 

例えばこうだ。

費用対効果を明示し、財務諸表だかなんだかそういうお金的なものを公表し、そのお金で何をしてどういう結果になって目標はどこまで達成できているのかという成果報告書を出している団体に募金する、というヤツだ。

 

自分がプロでなくても、大手のボランティア団体はその監査を外部に委託したりして、ちゃんとやってたりする。

しかも「寄付は金持ちの基本」の文化のある国で活動している団体はわりと信用しやすい。

なんでかっていうと企業を経営したりしてる人が、自分のお金を運用させて成果を出させているところだからである。

 

ていうか信用してもいいかなって思うだけで、本当のところは自分じゃ見極めきれないけど。

でも、よくわかんないところにやるよりは、ノウハウもあるし、いいかなって思う。

 

人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなくし善を行い続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、
あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく
正直で誠実であり続けないさい。

助けた相手から
恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを
世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。

気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい。

気にすることなく、

最良のものを与え続けなさい…。

マザー・テレサの名言 | 地球の名言

 

あなたはボランティア的な何かを、どう考えているのか。