「虚栄の帝国 ロシア  闇に消える『黒い』外国人たち」 中村逸郎

ロシア関連の本の続き。

 

マイナス50℃の世界

マイナス50℃の世界

 

 翻訳家の米原万里さんの本。

これは北極より寒いシベリアでの取材をもとにしている。

「お元気ですか。こちらはすっかり暖かくなりました。外の気温はマイナス21度。暑いほどです」

 という手紙に対し、

東京は春だというのにまだはだ寒く、今日の気温はプラス21度です」

と返事を書く。

 

家の窓は3重になっていて、玄関が冷凍庫の役割も果たしていたりと、極寒の地は大変だ。

ピロシキ食べたい。

 

 

本書は取材もので、しかも子ども向きに書かれた部分もあるので、ファンでない人には特におすすめはしないが、米原さんのエッセイは本当に面白く一読の価値がある。

ファンも多く、訃報にはショックを受けた人がたくさんいたはず。

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

 

 

ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)

ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)

 

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 

 

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)

 

 

嘘つきアーニャがブログで言及されている数がすごい。

ほぼ日で糸井さんと対談している記事があったので、リンク。

米原 私、3年生まで日本の学校にいて、
中学2年で日本に戻ってきたので、
日本の教育もある程度経験していますが、
日本の作文教育って、
何にも評価の基準がないじゃないですか。

「よくできました」
「大変よくできました」
何がどういいのかというのは
ぜんぜんわからないから、書いて書きっぱなし。

だから、その後に
さらにうまくなる可能性も、ぜんぜんないわけ。
先生の趣味に合うかどうかだけになる。

ところが、ソ連の学校で
受けた作文の授業というのは、例えば、
「じゃあ、友達について書きましょう」
ということになると、名作の人物描写の部分を
ぜんぶ抜粋してきて読ませるんですよ。

例えば「戦争と平和」の
ナターシャ・ロストワという女主人公に
ピエールという語り手が出会う場面の前に、
彼女に関するうわさがあって、
出会って、そのときの第一印象があって、
顔とか口とか目の描写があって、
その後、直接主人公との交流があって、
ある事件があって
主人公のナターシャの成長があってと、
とにかくそういう風に抜粋を読ませて、
その内容の要旨っていうのか、
どんな構造になっているのか、
というのを書かせるわけです。

ツルゲーネフの「初恋」でも何でも、
とにかく幾つか名作を読ませて、それが
どういう構造になってるかというのを分析させて、
じゃあ、あなたがお母さんについてだとか
友達についてだとかいうことを書くなら、
それをどういう構造で書くかと。


まず彼女の評判から書く?
あるいは彼女の目の描写から書く?

そういったことを、
とにかく「構造」をまず書かせるわけ。

構造を書かせた上で、
構造に基づいて、まず作文させる。
当初の構造どおり書けたか書けなかったか、
というのを確認しながら、
じゃあ、構造を変えていくとかいうふうにしてね。
糸井 小学生に?
米原 小学生で。
非常に方法論がしっかりしているわけですよ。

こういう教え方をできる教師は、日本にいるのだろうか?

 

 

 ロシアのいい話題に水を差すように、イマイチな部分を書いている本を取り上げる。

強権と不安の超大国・ロシア   旧ソ連諸国から見た「光と影」 (光文社新書)

強権と不安の超大国・ロシア 旧ソ連諸国から見た「光と影」 (光文社新書)

 

 冷戦時代のソ連を知る世代は、ソ連に対して「暗黒の国」というイメージを持つ場合が多いと思う。

 第2次世界大戦後には、多くの日本兵がシベリアや中央アジアなどソ連の荒地に抑留され過酷な強制労働を強いられた。さらに、北方領土問題がずっと最大の懸案事項となってきた。 

 そうそう、おそロシアのイメージ。

 

抑留のことが出てくるすごい厚い本を紹介しておく。

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))

 

内容紹介

大本営参謀・壹岐正は、終戦工作に赴いた満州ソ連軍に抑留される。酷寒のシベリアで、想像を絶する飢餓と強制労働に11年にわたって耐え抜き、ついに昭和31年、帰還を果たした。その経歴に目を付けた近畿商事の社長大門の熱心な誘いに応え、第二の人生を商社マンとして歩むことを決意。地獄の抑留生活の傷も癒えぬまま、再び「商戦」という名の新たな戦いに身を投じる。
 
 
冷戦時代は米国とは直接戦争はしなかったものの、

しかし、実は世界規模で見れば、各地の戦争で冷戦期は他の時期よりも多数の戦争犠牲者が出たという事実もあるのである。アジアや中東、アフリカなどでは多数の熱戦が起きた。そして、その多くは米ソの代理戦争だった。 

 

これらのことから、ソ連、ロシアの印象は今でもなんとなく悪い。

そのため、「ソ連が解体してよかった」「ソ連から独立した諸国の人びとは幸せに違いない」というような感想を持っている方が多いのではないだろうか。 

 というか、そこまでの感想を持つほど興味も持ってないかもしれないが。

 

本書の構成の部分にはこうある。

まず第1章「反ロシア精神、旧ソ連ノスタルジーの噴出」では、ミクロの視点で、人びとの生活を中心に記述する。反ロシア的な意識が高まるなか、日常生活の苦しさから、社会主義時代を懐かしむ風潮が強まっている。そこから、旧ソ連の庶民のアンビヴァレントな感情が明らかになるだろう。 

 モノはなかったが、すべての人びとに安定的な生活が保障されていた時代。

教育や医療は無料で、住宅や別荘(ダーチャ)も供与され、保養所や文化施設も利用できた。

自由経済化で、こういった保障がなくなり、特権階級以外は平等に近かったものが、貧富の差が開いてきたという。

(主にロシア以外の旧ソ連地域の話)

 

教師は薄給となり副業に精を出し、図書館は荒廃。

ソ連時代に識字率ほぼ100%を達成してきていた地域でも、教育を受けられない子ども達が増えているという。

 

ロシア自体はともかく、旧ソ連地域は今もロシアに資源供給で握られていたりもするし、地域には定住しているロシア人もいるし、ウクライナでも最近あれこれあったりしていたので色々難しいことになっているのはご存知だろうと思う。

 

この本はこういったロシアと周辺国の現状なんかを影として書く。

KGBソ連国家保安委員会)的体質も未だにある、として自身の体験談なども交えて語られている。

体制やら仕組みやらは色々変わるかもしれないが、その中にいる人というのは、そんなに急激には変わらないものである。

 

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ただ、この本でも、ロシア以外の旧ソ連地域も親日的であるという話が書かれている。

 まずは明治維新での非西洋国における近代化・西欧化の成功モデル、次に日露戦争での非西欧の小国の白人帝国への勝利、そして第2次世界大戦後の復興という3点が根底にあるという。

脅威の大国ロシア帝国に小国の日本が戦争で勝利したというのは、ソ連を恐れてきた国々にとってはすごいことだったのかもしれない。

また、同じ「ロシアと領土問題を抱える国」という共感もあるという。

そして、強制収容所の日本人が建てた劇場は、1966年の大地震でびくともしなかったということで、日本人の評価がこういうところでもあがったという。

ソ連時代のアゼルバイジャン東芝エアコン工場も評価されており、筆者も新しいエアコンより中古の東芝の方が壊れにくい、といった話をされたことがあるという。

 

この本では日本のシンドラー、杉浦千畝氏の話も出てくる。

リトアニアの日本領事館で、独断でユダヤ人に通過ビザを発行した人である。

6000人以上のユダヤ人を救ったというからすごい。

 

ロシアだけでなく、こういう東欧諸国からの信頼もあるというのは、嬉しい。

 

 

 ではタイトルの本に。

虚栄の帝国ロシア―闇に消える「黒い」外国人たち

虚栄の帝国ロシア―闇に消える「黒い」外国人たち

 

 表紙をめくるとこうある。

潤沢な石油マネーで華やかな表玄関を構えるロシア。だがその裏で働く一五〇〇万人もの旧ソ連出身外国人不法就労者の存在を知る人は少ない。僅かの賃金、劣悪な条件のもとで建設や清掃などの重労働に従事する彼らからは、つねに警察官や雇い主がなけなしの金をしぼりとっていく。そればかりでなく、労働災害による傷病や事故死の危険も常時隣り合わせで、働きに出たまま行方知れずとなる外国人の数は月に数百人ともいわれる。そうしたかれらにさらに追い討ちをかける、スキンヘッド・グループによる襲撃も、あとを絶たない。一方でロシア社会は彼らの労働なしにはもはや成り立たなくなっており、ロシア市民たちもまた、彼らの上前をはねる生活に慣れてしまった。「虚栄の帝国」の知られざる舞台裏を、地域に密着した調査がえぐり出す。

 これだけで内容がわかりますね。

 

「黒い」外国人とは誰を指すのか。

ソ連帝国の消滅後、出稼ぎを目的に旧ソ連構成国からロシアに大量に流入する人たちはまさに「黒い労働者」である。かれらの90パーセント以上が不法就労であり、しかもロシア社会の闇の部分に囲い込まれている。

彼らはロシア文化に憧れるのでも、ロシア人と積極的に交流するのでもなく、仲間だけでごく小さなグループを作って暮らしているという。

この黒い労働者の多くは中央アジア諸国とカフカース地方からの人たちが占めており、かれらはロシア人の間で古くから「ブラック」と呼ばれてきた。もっとも肌・髪色の明るい人が多いロシアでは、イタリア人、ギリシア人、スペイン人なども「黒い」という場合があるようで、必ずしも「肌が浅黒い」ことだけを意味しない。

 

彼らがロシアに流れ込み始めたのはソビエト連邦が崩壊してから10年後。

帝国支配時には外への脱出を試みようとしたこともあった周辺民族が、崩壊後になぜモスクワに戻ろうとしたのかが本書には書かれている。

モスクワで特に目立つようになったのは2002年頃からだという。

 

 

プーチンは経済的に疲弊する周辺国の労働力をロシアに引き寄せ、復調するロシア社会を下支えさせようとしている。だが現実には、ロシア国内での出稼ぎ労働者の就労には大きな法律的な障害が立ちはだかっているのである。不法就労はかれら自身の 怠慢というよりも、むしろ制度そのものに欠陥があるために生じているのだといえる。あたかも出稼ぎ労働者を不法就労に追い込むためのような法律が、労働市場無法状態を引き起こす根源となっているとも思われるのである。

 2007年くらいの調査では、ロシア人回答者の8割が「ロシアでの生活が気に入ってる」と答え、この5年間で36%収入が向上したと答えているのに比べて、出稼ぎ労働者の方は厳しい状況にある。

この見せ掛けの華やかさは「ポチョムーキンの村」を髣髴させると著者は書く。

 ポチョムキン村(ポチョムキンむら、ロシア語Потёмкинские деревни英語Potemkin villages / Potyomkin villages)とは、主に政治的な文脈で使われる語で、貧しい実態や不利となる実態を訪問者の目から隠すために作られた、見せかけだけの施設などのことを指す。「見せかけだけのもの」とは、物理的に存在するものであることもあるし、あるいは資料や統計など比喩的なものであることもある。この語は、ロシア帝国の軍人で1787年露土戦争を指揮したグリゴリー・ポチョムキンが、皇帝エカチェリーナ2世行幸のために作ったとされる「偽物の村」に由来する。

ポチョムキン村 - Wikipedia

 

主な出稼ぎ労働者はもともとソ連邦の構成員だった人びとなので、ロシアで見かけても明らかな「外国人」という意識はもたれないが、宗教も言葉も習慣も異なるために、自国民とは思えないという曖昧な位置づけの存在である。

 

 

出稼ぎに来る理由は生活費である。

モスクワでの賃金は、タジキスタンの10倍にもなるという。

そのため、労働条件が過酷であっても、長時間労働になっても、モスクワで働くことを選ぶ人が後を絶たないという。

労働条件だけではなく、生活環境もまた劣悪だ。

アパートの一室に38人が住んでいたり、住居が見つかるまでゴミ収集コンテナの中で過ごしていたなどの事例が挙げられている。

タジキスタン人以外にも、アゼルバイジャン人、モルドヴァ人の例も出ている。

 

身分も保障されず、外国人嫌いのスキンヘッドによる襲撃・暴行事件もあるという。

ロシア人はそういった「黒い」外国人たちを安く雇い、利用する。

そこでは名義貸し、賄賂、ピンはね、ブローカーの暗躍など、多段の搾取が行われている。

 

本書の末尾には、清掃などのロシア人が好まない仕事のほとんどを出稼ぎ外国人が担っており、もし出稼ぎに来る人がいなくなったら、モスクワなどはゴミの散乱する街になるだろうといったことも書かれている。

今はそこにあっても見えぬ存在として扱っている外国人によって、街が下支えされているということを、もっと自覚すべきなのだろう。

出稼ぎ先はロシアには限らないのだし。

 

タイトルにあるとおり、筆者は今のロシアの繁栄を「虚栄」と見ている。

さて、ロシアの未来は明るいのか?

 

おまけ

「ヘタリア Axis Powers」旅の会話ブック ロシア編 僕と友達になろうよ!

「ヘタリア Axis Powers」旅の会話ブック ロシア編 僕と友達になろうよ!

 

ロシア語の他に、ウクライナ語とベラルーシ語の挨拶などが載ってた。

ロシア語の「こんにちは」は、「ズドラーストヴィチェ」が広く知られているが、ウクライナベラルーシではちょっと違うらしい。

ウクライナドーブルイ デーニ」

ベラルーシドーブルィ ズェーニ」 

同じ言葉をロシア語で言うと、「ドーブルィ ヂェーニ」だって。

文字も綴りも若干違う。

そういえば糸井さん・米原さんの対談でこんな部分があったな。

ロシア語と親戚関係にあるスラブ語の、
例えばチェコ語とかポーランド語、
そういう国から来た子は、大体2~3カ月で
ロシア語ができるようになります。近いから。
ただ、身につけたロシア語を見ると、
言語的に離れた国のほうが、完璧に身につけるの。

ところが、とても近い言葉を母国語にして、
実際にロシアで生活してゆくような子、
この子たちは永遠に自分の国の
なまりを引きずったまま、
ロシア語を、しゃべるんですよ。

その後もそのままロシアに留学して、
大学へ行って出て、
大人になってロシア語で生活してるのに、
自国語なまりそのまま丸出し。何年やっても

 ほぼ日刊イトイ新聞 -言葉の戦争と平和。から抜粋

 

私は巻き舌が苦手なので、ロシア語とかイタリア語とかはすごい訓練が必要になると思う。

身体的な意味で。

 

 

追記

ロシアの本書き終わったぁー!と思ったらもう一冊あった。

プーチン、自らを語る

プーチン、自らを語る

  • 作者: ナタリアゲヴォルクヤン,アンドレイコレスニコフ,ナタリアチマコワ,Nataliya Gevorkyan,Andrei Kolesnikov,Natalya Timakova,高橋則明
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2000/08
  • メディア: 単行本
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 プーチンへのインタビューをまとめた本。

2000年とちょっと古い。

 プーチンの小学校の担任が、彼は頭はよかったが、問題児だったとあかす。プーチンはいつも学校に遅刻していて、ピオネールにも入れないでいた。しかし、十歳のときに、彼は格闘技と出会い、その後、スパイ小説や映画により、KGBに入るというただひとつの大志を抱いた。十六歳のときに、かれはKGB支部を訪れた。そこで彼は、ほんとうにスパイになりたいのならば、大学の法学部に進み、口を堅く閉ざして、スパイになりたいという思いを話さないことだと忠告された。両親や柔道のコーチの懇願や脅しにも負けず、彼はKGBの忠告を守った。

 最初の方にある要約のところ。

確かに、スパイになりたいと公言してたらスパイにはなれないよな。

 

難しいこともいっぱい書いてあるが、どうでもいいところを抜粋してみる。

―大学時代は恋愛の季節です。あなたも恋愛をしましたか。

 プーチン しない者がいるのかい。真剣な恋愛はなかった……ただひとつを除けば。

―初恋ですか。

 プーチン そうだ。彼女と結婚する予定だった。

―それはいつのことですか。

 プーチン 私が実際に結婚する四年くらい前だ。

―つまりうまくいかなかったのですか。

 プーチン そうだ。

―何が障害だったのですか。

 プーチン いろいろこみいった事情があったのだ。

―彼女は他の男性と結婚しましたか。

 プーチン 他の男性だって?そう、あとになってからね。

―結婚をやめようと決めたのは誰ですか。

 プーチン 私だ。私が決断したのだ。私たちはすでに結婚許可証を申しこんでいたし、すべての用意もととのっていた。両家の親は結婚指輪やスーツ、ウェディングドレスなど必要なものを買いそろえていた。結婚破棄は私の人生においてもっとも困難な選択のひとつだった。ほんとうにきつかったよ。だが私は、先になって二人で苦しむよりは、そのとき苦しむほうがいいと思ったのだ。

―それでは、あなたは文字通り祭壇に彼女を置き去りにして逃げたのですか。

 プーチン そんなところだ。だが、逃げてはいない。私は彼女に真実を告げた。必要なことはすべて打ち明けたのだ。

―それについては話したくないのですね。

 プーチン 話したくない。こみいった話だ。そうなる運命だったのだ。とにかくつらかったよ。

―後悔していますか。

 プーチン していない。

ロシア語のインタビューの英訳版から日本語訳したものらしいですが、なんか硬い感じの文章ですな。 

元カノの話で「私は彼女に真実を告げた」「そうなる運命だったのだ」といった言葉を使ってあるのが面白い。

 

もうひとつ引用。

元奥さんのリュドミーラ・プーチナへのインタビュー。

最初の出会いのときは、地味な服装でぱっとしなくて、人好きのしないプーチンには興味を持たなかったとか。

―彼はどのようにして結婚を決意したのですか。

リュドミーラ ある夜、わつぃたちが彼の家で座っていたとき、こう切り出されました。「もう僕がどんな人間かわかっただろう。一般的に言って僕はあまり愉快な人間ではないと思う」それから彼は自己批判をしはじめました。無口だし、ぶっきらぼうなところもあるし、人を侮辱することだってあるんだなどと言いました。安心して一生の相手として選べるタイプではない。そして、こうつけ加えました。「三年半つきあってきて、たぶんきみも決心がついていると思う」

 これは別れ話なのだと思いました。「ええ、決心はついています」私は答えました。「いいんだね」と彼は自信なさげに言いました。これでわたしたちも終わりなのねと思いました。でも、次に彼はこう言ったのです。「そうか、それならば、きみを愛しているから結婚を申しこむよ」私はその言葉にびっくりしてしまいました。 

 なんというか、こういうお人柄なのでしょう。

 

リュドミラさんの検索したら、プーチンの娘さんが最近来日してたらしいとか、プーチンと愛人との間に隠し子か!?とか、そんなゴシップが出てきた。

有名人は大変だな。