SEX AND THE CITY シーズン1 エピソード2
第2話 モデルにハマる男たち
ミランダがモデライザー(モデルが好きな男、モデルとばかり寝る男)に誘われた話から始まるエピソード。
実際のモデルがどうかはわかりませんが、ここでは頭が空っぽでKY、常識のない美人として描かれています。
個人というより有名人のカテゴリと寝ることを使命にしている話で、ちょっとファック隊を思い出しましたw
モデルおたくの友人達は、ろくに会話のできないモデルにうんざり。
モデルでなくても、不貞腐れた人が一人いるばかりに、みんな気を遣って楽しめないという場面、ありますよね。
ニューヨークではモデルとの出会いがあるのかもしれませんが、日本ではあまりリアルではない話かも。
それでも、ネットで謎のリアルではない数値を信じる人たちを見ると、モデル並みでなければアウトと思っている人が結構いるのではないかと。
こういう人が、環境がゆるせばモデライザーになるのでは?なんて思ったりしてしまいます。
女性よりも男性の方が、相手の見た目を重要視するというのもよく聞く話です。
成功した男性が糟糠の妻を捨ててトロフィーワイフをゲットする話なんかも、やはり男性は自分が獲得したものを誇示したいという傾向があるのでは、と思わせます。
髭の生えたデブがモテる国もあるとシャーロットが言っていますが、太っているのが美人の条件というのは国の状況にもよるのかもしれません。
痩せていることが貧困の象徴と感じられる国では、太っていることが美の条件。
太っていることが怠惰や貧困の象徴になっている国では、引き締まっていることが良しとされるのはある意味当然かも。
日本でも雑誌では常にダイエット特集が組まれていますが、必要なのは体重のコントロールよりも、より健康的になることなのでは…?
また、最近は食にお金をかけられない若者が多くなっているという統計も?
SATCからは縁遠い話ですが、35円の袋うどん、もやし、業務用パスタ云々の出てくる節約(貧困?)メニューは、健康的ではない痩せ方をしそうですがどうでしょう。
理想体重と同じく、食費が家族でも月3万円とかいうのは、実家から米と野菜が来る、業務用スーパーが日常使いできるなどの特殊な例が多いという事実はもっと知られるべきw
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SATCで納得いかないのは、シャーロットが太ももで悩んでいたり、シーズンが進むとミランダが太って悩むというところ!
もちろんドラマなので仕方がないですが、あの体型で悩むなんて、となりますw
サマンサのように、私は自分に満足している、となりたものですね。
体型というのは自分でコントロールできる部分と、できない部分があります。
大切なのは自分で納得しているかどうかですし、納得できていないとしても、今の自分を認めること。そのなかできちんとしようとする姿勢が必要なのかなと思います。
自分にダメ出しをしすぎて卑屈になるよりも、これが今の自分っとニコニコしている方がよっぽどかわいいです。
最近よく思うのが、叶姉妹の努力の凄さ。
たとえリッチであっても、あの体型を維持するには、一秒の隙もなく常に美しくあることを意識して生活することが必要だと思います。
叶姉妹座りに代表される、日々の努力があってこそ。
露出の多い服装をためらいなくできるということは、もちろんお直しもしていないという証拠だと思います。
決して他人を批判したりしない、人にやさしく自分に厳しくを実行しているのも、セレブキャラでも敵を作らない彼女らの凄さでもあります。
youtubeで美香さんが下の毛が水着からはみ出している方へ、「注意してあげた方がいいのかと…」と言うと、恭子さんがその点について他人に注意をする必要はないというコメントをしている動画を見たことがあります。恭子さんはそうしようと思ってしているのかもしれませんよ、ということを言っていましたが、そういった差し出がましいことをしようとしない、それを徹底しているのは素敵だと思います。
恭子さんが注意するのが美香さん相手だけ、というのも、美香さんだけを信頼して教育しようとしている(自分に厳しく、の自分に美香さんが含まれているのだろうなと)、そいういう関係性も、興味深いところでもあります。
SATCの中でも、よくエクササイズの場面が出てきますが、エクササイズで体型を保つことが日常に組み込まれているという点は、われわれも見習いたいところです。
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モデルとの情事をビデオに撮っている彼が出ていますが、セックスビデオを撮る人は思ったよりたくさんいるのでしょうか。
いずれにせよ、リスクの高い行動だと思います。
でも自分の美しさに自信があれば、撮ってみたいと思うものなのでしょうか?
基本的にはデータはいくらでもコピーされて残るので、特に若い子は本当に警戒しておいてほしい。
聞いたことがあるかもしれませんが、リベンジポルノの危険性は十分に周知されるべき。写真や動画を撮った時点で、どれだけ信頼があったとしても、未来に何があるかは誰にもわかりません。
一度出回ってしまうと、どこかにずっとアーカイブされてしまうのが怖いところ。
また視覚記憶が優れている人がそうなのかわかりませんが、問題が発生した時の画像からの特定班も侮れません。
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モデライザーの彼は、モデルを「普通の子として扱う」ことが鍵としていますが、こういう特別扱いしないことで近づく方法というのは、特別な地位にある人にも効くといいますね。
上下に敏感な中間管理職にはダメですが、経営層などには、逆に普通に接することで距離を縮められるという方法論を読んだことがあります。
全員ではありませんが、「役割」が前面に立っての接触は距離感もあるし、自分もその役割として立ち振る舞わなければいけない、と無意識に壁を作っているということもあります。
女性でよくあるのは、「○○ちゃんママ」になってしまった時に、自分が自分でなくなってしまった気がするというもの。
関係性でも、ママ友から一歩踏み込んだ友達になる過程には、名前で呼び合うようになるという段階があると思います。
SATCの友情の羨ましいところは、職場や同窓という関係ではなく、本当に友達であるという一点だけで友人になっているところ。
多ければいいというわけではない、でもなくなるのは困る、友達というもの。
人生の紆余曲折の中で、離れてしまうことがあっても、続く友情は本当にかけがえのないものです。
男性より長生きする女性は、結婚してもしなくても、最後にはおひとりさまになるということを書いた「おひとりさまの老後」は、やはり一度意識しておくべきことかも?
地縁が薄くなっている都会でこそ、老後に向けて友活をすべきなのかもしれません。